山元塾通信

季刊山元塾 2008秋号 第3部~「戦争への道」

日中戦争から太平洋戦争まず日本が日中戦争に踏み切った理由ですが、それは当然日本側に「勝てるシナリオ」があったからです。
しかしその「勝てるシナリオ」は実にお粗末なもので、その中身は、「中国国民党(蒋介石)は大の共産嫌いだから、反共産を叫んでおけば日本の中国北部支配を容認するだろう。」といったものでした。
ところが日本語にもありますが「夫婦喧嘩は犬も食わない」のです。
蒋介石個人は懐柔できても、中国人全体を民族対立よりイデオロギー対立に導けるはずが無いのです。
それを軍部は明確な根拠の無いままシナリオを実行し、案の定、そのシナリオは中国国民党と中国共産党の「国共合作」によって崩壊していきます。

しかも例によって日本軍部は「勝てるシナリオ」が実はお粗末なものであった、ということが天皇に知られること(政府ではありませんよ。前に述べた統帥権を考えてください。)を極端に恐れています。
天皇にお粗末さが知られないためには戦争を続行する以外に方法が無かったのです。
なぜなら、当時の天皇(君主は大抵そうですが)は任せたら最後まで口を出さずに職務を全うさせることが、君主としての度量の広さだという考えを持っていたからです。
かくして、内閣の「不拡大方針」とは裏腹に日中戦争は泥沼化していくこととなります。

そしてさらに戦争中の一番の問題点は、軍部が国際法をことごとく無視したということです。
確かに戦時国際法は19世紀のヨーロッパ諸国が国力を疲弊させない戦争(ルールのある戦争)を目指して形作られたものです。
が、当時の国際社会は現在よりも「強者の論理」に支配されていました。